レビュー・コメント

まるで福音のように

交通事故で意識不明のはずの恋人との、不思議な一週間の物語――。
頭の整理がつかないままの主人公・三井と、毎日、手作りの弁当を三井に手渡す恋人の咲。普段通りの生活を送りつつも、死のにおいは常に2人につきまとう。さまざまな感情を抱えつつ互いに向き合い始める2人に、約束の“1週間後”は、容赦なく迫ってくる。生と死の狭間で葛藤する三井と咲の姿に、日めくりのように続く何気ない毎日が「当たり前」ではないのだということを突きつけられた。

「死は、誰にでもあり得る現実」ということに正面から向き合いつつ、悲しみのみに終始しない優しさ、温かさ、愛情を感じる。会社の先輩とのやりとりや、友人に見せる弱気な表情、恋人に向ける笑顔…。手塚 悟監督の細やかな視線が、言葉で定義できないほど何気ない日常の風景を浮かび上がらせ、静謐な世界観を創り出している。

数々の短編作品が、国内外の映画祭で高い評価を受けてきた手塚監督の長編デビュー作「Every Day」。「いつかは長編を撮りたい」と思い続けていた監督。2008年に原作と出会うも、東日本大震災の影響などで製作が延期され、いざ撮影するもクランクアップは1年以上遅れた。編集作業に入ろうとした矢先の2014年4月、脳梗塞が手塚監督を襲う。視野の一部が欠ける「右同名半盲」という後遺症をもたらした。賢明なリハビリの末に復帰を果たすも、同年秋、最愛の母が倒れ、帰らぬ人となってしまった。紆余曲折を経て2015年、7年掛かりで同作が完成。生と死を見つめた監督の半生が、映画のテーマとオーバーラップする。

監督とはじめて会ったのは2016年4月上旬。私は、この作品をはじめて見て泣いていた。ひとしきり涙をぬぐい終えた私に、監督は言った。
「一瞬一瞬を生きていかなくてはならないというのは、みんなが背負っていること。でも、日々、その先は分からない」
私は、その穏やかな語りに心が突き動かされたけれど、まだ、そのときの気持ちをうまく表現できないでいる。例えるなら、あまたの喜びと哀しみと愛と憂いと…この世の想い全てを糸にして幾重にも重ねて織り上げたタペストリーに出会ったような、そんな感動であった。

実はそれは、祖母が生死の境をさまよってから数日後のことだった。私は昨年11月に結婚し、配偶者と同居も始めていたが、式などは落ち着いてからということで、後回しにしていた。そのことを悔いていたこともあってか、私には、この映画の結末は明るいものに見えた。

この作品の結末を、どのようにとらえるかは、一人一人の置かれた状況や人生観などによって異なるだろう。ただ、監督が私に、内緒話のように打ち明けてくれたことを、あなたにも知ってほしいと思う。監督は初めから終わりまで「死」を意識して、この作品を制作したらしい。ただ、「今は、あの先に続いていく日々があれば、と思っている」と言う。ちなみに、私の祖母は、いまではすっかり元気になり、6月の結婚式にも参列してくれた。もし、私がもう一度「Every Day」を観たら、今度はどんな風に思うのだろうか―?

この作品には、観た者の心の襞に沈み、まるで「自分のこと」のように感じさせる力がある。それぞれのさまざまな経験や感情を呼び起こす作用もあるようで、4月23日に監督の故郷である山梨県で行われた先行上映会では、終演後のロビーで、感想と合わせて自身の個人的な体験を語り合っている観客の姿をあちこちで見かけた。

そして私自身、この作品を観てからというもの、スープのひとさじ、仕事終わりに見上げる夜空、野良猫のひげの動き、配偶者の眼鏡の反射―――何気ない、この世のすべてをいとおしく、大切に思える魔法にかかってしまった。

「Every Day」は、私に訪れた福音だったのではないかと思う。
空川寧/ライター

戻れない日々への愛魂歌

早く大人になりたかった。
大人になれば、あらゆることを理解して、後悔もせず、賢く生きられると思ったから。
失くすことでしか気付けないような、愚かな人にはなりたくなかったから。
大人になりさえすれば、大抵のことは解決する。そう信じていた。

エブリデイ。とは「ありふれた」「平凡な」という意味を含むそうだ。
そう、日々とは、この上なく平凡で、また今日も始まり、終わるだけのありふれた日常だ。
けれどそんな日常こそが愛おしく特別で、いかに奇跡的なことであるか。または、そうであったか。あたり前に誰もが知っているのに、いつも掴みそこねて、過ぎ去ってから結局立ち止まり、振り返り、思い出して、時に後悔し、時に幸せな気持ちになり。追体験を繰り返して今日がプラスされていく。
時間と共に薄れていく記憶もあれば、より一層深く、濃く刻まれていく記憶もある。そしてそれらは大抵、後悔という名の傷になっていったりもする。

もし三井のように少しだけ、ほんの少しだけ、そんな日々を修正出来るかもしれない機会が訪れたら。
たとえ結末は同じだとしても、その過程において、悔いのない幕引きをきちんとはたすことができるだろうか。
そしてそれは、果たして幸せなことなんだろうか。三井は、ある種の達成感を得ることが出来たのだろうか。
その記憶は、過去は、傷にはならないのだろうか。

2年半前に東京を離れ、今では一児の母になった。
「Every Day」と同じ、手塚・冨士原コンビの短編映画「こぼれる」に出演したのは6年も前のことだ。

東京での日常を懐かしむ時、例に漏れず後悔が頭をもたげることがある。
伝えたかった言葉、悔やんだ言葉、してあげたかったこと、してほしかったこと。
願った思い、叶わなかった思い。

大人になれば解決すると思っていた大概のことは、大人になっても何も変わらなかった。
大人。がいつからだったのかも分からない。結局、失くして気付いたこともいくつもある。
それでも、どれひとつ今の自分にとって欠くことのできない過去だったことだけは、知っている。

やり直せないと知っていて、今日が、いつかのその日になるかもしれないと知っていて、
それでも人はありふれた平凡な1日を過ごす。
やり直せない日々は、だからこそ輝いてもいるのかもしれない。
小鳥/女優